連載 整形外科と蘭學・24
杉田玄白と解体新書(その2)
川嶌 眞人
1
Mahito Kawashima
1
1川嶌整形外科病院
pp.492-495
発行日 2009年5月25日
Published Date 2009/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408101513
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
■山脇東洋と杉田玄白
山脇東洋の京都六角獄舎における解剖に参加した小浜藩の小杉玄適(1730~1791)は,佐知隆建の次男で小浜藩医小杉玄統の養子となり,延享2年(1745)に家督を相続,150石の扶持,後に奥医師まで勤めた医師であるが,日本最初の人体解剖の許可を受けたということ,杉田玄白の人生に大きな衝撃を与えた人物として,もっと評価されてよい人物である.玄適は江戸に戻ると,小浜藩の同僚である22歳の玄白に京都における解剖の状況をつぶさに伝えた.
玄白はその時の様子を,享和2年(1802)に書いた回想録「形影夜話」に大きな衝撃と感動を受けたと記録している.関西の人々の下風に立つのがよほどくやしかったのか,東洋がわずかひとりだけの解剖で「蔵志」を著したのは疎漏とまでいっている.玄白は大いに発奮し,何時の日か自分こそが本格的な解剖を行ってみせると決意を固めた.そのための準備をまず始めるしかないと徐々に行動を開始するのであるが,高価な西洋の解剖書を入手することがなかなかできなかった.
Copyright © 2009, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.