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1993年の或る日,一面識もないシスターからお便りが届いた.内容は1994年夏の,東チモール・フィールド・ワーク参加への呼びかけだった.今日でこそ,東チモールといえば2002年に独立した旧ポルトガル植民地で,1975年以来インドネシアが武力併合を強行し支配していたこと,オーストラリアの北にあるチモール島の東半分を占める国だ,程度のことは常識になっている.その当時の私は,世界地図にその名を探しあぐね,知っていそうな人に電話で尋ねた.何故私に誘いかけがきたのかを訝りながら読んでみると,旧い時代,日本のハンセン病医療に働かれた3人の先輩女医の方々の御紹介と書かれてあった.打ち合わせ会に行き,そのグループは1992年,多くの住民が犠牲になったサンタクルス事件前後から,人道支援として農業,教育,医療の分野で支援を始めているグループであると知った.フィールドの或る地域でハンセン病の診療に関わっているインドネシア人ワーカーから,ハンセン病診療施設の建設支援を求められたが,必要の実態と,もし必要性が高ければ,グループの実力としてどこまで支援するのが妥当かの判断を頼みたいとのことだった.そしてチームに医師が少ないのでその協力もしてほしいということだった.
グループはカトリック系の専門学校を拠点に様々の思想・信条・職種の人々,学生が集っていた.化学系の大学を出て分析を専門にしていた人が農業グループで活躍していたり,社会福祉系の大学を出てからフィールド・ワークをめざして看護を修め,さらにアメリカ留学をしたという女性,カトリックの司祭,シスター等々.東チモールについてのグループ学習や,チームの活動計画を立てるなど準備をし,1994年,夏休みで活動に参加する学生たちと一緒に出かけた.バリ島のデンパサールに一泊し,東チモールの現主都ディリに飛んだ.厳重な管制が敷かれていることは聞いていたし,1965年台湾に派遣されたときや,1972年韓国入りしたとき程度かと思っていたが,インドネシア政府の管制はさらに厳しかった.1994年から1998年秋までに8回程往復し,長いときは4週間近いフィールド滞在だった.
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