特別シンポジウム どうする日本の医療
社会的共通資本としての医療
宇沢 弘文
1
1同志社大学社会的共通資本研究センター
pp.974
発行日 2005年9月1日
Published Date 2005/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408100170
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私はこれまで経済学の立場から医療を考えてきました.敗戦1カ月を過ぎた頃,私はまだ旧制一高に在学中でした.9月のある日,旧制一高を軍の施設として使おうと,占領軍の将校団が視察に来ました.当時の校長であった,戦前の日本のリベラリストを代表される哲学者,安部能成先生は,アメリカの将校たちを前にして「ここは,リベラルアーツを専門とするsacred place(聖なる場所)だ.占領というようなvulgar(世俗的)な目的には使わせない」と,毅然としておっしゃり,将校団は黙って帰っていきました.いまから60年近く前のことですが,そのときの光景は私の心に強く焼きついています.
その一高時代に『ヒポクラテス全集』を読み,医師となる人間は,人格高潔で能力があり,一生を人類のために捧げる志をもつ若者でなければいけないとありました.それでは自分にはとても無理だと,数学の道へ進みました.戦後間もない,社会的にも経済的にも混乱した時代です.医学が人間の体を癒す学問とすれば,経済学は社会の病気を治す学問だと勝手に位置づけて,経済学の勉強を始めました.いまから50年ほど前になります.
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