メディカルエッセー 『航跡』・9
中国の小児外科医(3)
木村 健
1
1アイオワ大学医学部外科
pp.636-637
発行日 1997年5月20日
Published Date 1997/5/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407902724
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中国ではじめての国際小児外科学会は,さまざまな意味で成功裡に終了した.中国全土から駆せ参じた250名の中国の外科医達には,日本,アメリカそしてヨーロッパの小児外科の現況を多少とも伝えることができた.とりわけ大きな収獲は,演題を自由に多角度から討論し合うという学術会議のすすめ方であった.今も大切に保存している学会の抄録集はワラ半紙に、今日では見るのも困難となった“ガリ版刷り”された50題が収められている.頁を開くと右側が中国語,左側が英語訳になっていて,表紙の少し厚手の紙とともに緑色の絹のリボンで綴じられている.出席者の名簿を刷った小冊子がはさみ込まれていて,それぞれの性別,年齢,所属施設が一目で判るようになっている,興味をひいたのは,民族という欄があって,漢民族,満州民族などの別が霞き込まれている.学会出席者の名簿に民族の識別が何故必要なのか.その理由は今もって判らない.
外国からの出席者にとって,この学会は当時の中国の状況を学ぶところが大きかった.天津児竜医院に案内され院内見学が許されたとき,国外参加者の興味はその極に達したのであった.入院している子供達の9割以上が男の子であった.不思議に思ってその理由を尋ねてみると,一夫婦一子政策にあるという、人口の爆発的増加を抑制するために一組の夫婦は一子のみを設けるという策がとられると,両親は男の子が産まれると大よろこび,女の子だと失意のどん底という結果を招いた.
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