メディカルエッセー 『航跡』・7
中国の小児外科医(1)
木村 健
1
1アイオワ大学医学部外科
pp.350-351
発行日 1997年3月20日
Published Date 1997/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407902670
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1981年4月.フィラデルフィア小児病院で永年小児外科部長を努めたDr.Koopは,レーガン大統領の要請を受けて公衆衛生局長官(SurgeonGeneral)として閣僚に加わることになった.小児外科医の輝かしい経歴に終止符を打って政界に進出することになったDr.Koopは内外の政学界から千人に余るゲストを招いて,学究生活との別れの宴を開いた.当時兵庫県立こども病院に勤めていた筆者も,招待客に加えてもらいペンシルバニアへと向ったのである.
合衆国の現行法では公衆衛生局長官の候補者は65歳未満でなくてはならない.ところが,当時Dr.Koopは65歳を過ぎており,法的には不適任者であった.レーガン大統領はDr.Koopに限ってはたとえ年齢オーバーであっても長官就任を許可するという特別法案を議会に提出した.これが,与野党の賛同を得て万場一致で可決,めでたくKoop長官の誕生をみたのである.この経緯を日本のシステムと比較してみると,法律,規則,それに憲法でさえも,時代と局面の要求に応じてどんどん変えるというのがアメリカである.他方の日本では,法律,規則,政令のたぐいは金科玉条かつ絶対不変のものとして護り通す.とくに役人が普通の市民に対して威圧的立場をとりたいとき,法や規則をかさに着るのは日常経験されている通りである.
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