Medical Essay メスと絵筆とカンバスと・2
バーミリオン
若林 利重
1
1東京警察病院
pp.230-231
発行日 1993年2月20日
Published Date 1993/2/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407901108
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私はバーミリオンを好んで使う.バーミリオンというのは朱に近い赤である.一水会展,日展の私の出品作にこの色が登場してくるのは1972年以後である.それまでの絵にはエローオーカー(黄土色)が多かった.しかしバーミリオンは1965年頃から心の中ではくすぶっていたようだ.1992年の7月私は銀座のY画廊でミニ回顧展を開いた.出展作20点のうち初期の3点を除く17点はすべてバーミリオン系の色であり,そのうち15点は100号以上の大作である.会場に入るや,このバーミリオンが私自身にもむっとするような熱気を感じさせた.画廊を訪れた多くの人々も会場に充満したこの色彩に異様な感じをうけたにちがいない.
美術評論家の田中穰氏がこの展覧会をみて「月刊美術」の10月号(1992年)に私を紹介した.「田中穣の人間美術史⑫」という1年前からの連載もので,私はその12番目にとりあげられたわけである.「若林利重,異彩が見直された名外科医画家」という大げさなタイトルである.「先生の絵の色がバーミリオンに変った動機は何ですか.」と展覧会場で私は田中氏からきかれた.何に触発されてこの色を使うようになったか,私自身殆ど考えたことがなかった.改めてこうきかれ,ハタと返答に困った.暫く考えてから「印度の大地の色と夕焼の色に惹かれたからかもしれません.」と答えた.
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