心の行脚・8
学問の楽しみ
井口 潔
pp.608-609
発行日 1990年5月20日
Published Date 1990/5/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407900097
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学問とは応用を目的とするものなのか?純粋に真理探求のためのものなのか?こんな問題を真面目に考えたことがあった.大学を出た頃のことである.終戦の年の卒業なので,日本全体焼野原で何から手をつけ,どう生きたらよいかわからないとき,何と呑気なことを考えたものかと思うが,昔の理想主義的教育の影響のせいだったかも知れない.その頃,東大医学部に血清学講座があり,緒方富雄先生が教授をしておられた.「医学と生物学」という研究速報誌を主宰して,学生でも投稿できるということであったので,何となく勝手に親近感をもち,この学問論について先生のお考えを一つお聞かせ願いたいと,上京の機会に先生のお部屋を訪れたことがあった.先生は変な若者が来たものと訝しく思われたことであろうが,そのご返事がどんなものであったのか,肝腎のところは今は全く覚えていない.
その頃,額田晋という先生の臨床薬理学の著書があった.肩書に医学博士・理学博士とあるのをみて,医者で理博は素晴らしいものだナと憧憬のような思いがした.物象の本質を探るのが理学である.応用のための学問はレベルが低いのではないか,こんな他愛もないことを考えた時期があった.こんなことがあとで私を理学部に行かせた.そして理学部では「エントロピーの法則」に妙に魅せられた.これは今,「人間の科学」の追究で私の大きな興味になっているが,ここでは触れない.
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