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山形県は,さくらんぼやラ・フランスなどに代表される果物の産地として有名ですが,その他全国的に有名な日本酒(敢えて名は伏せますが),ワイン,米沢牛,山菜,キノコと,非常に食文化に恵まれた県です.山形市はそんな県の中央部,東端に位置する,人口25万人の県庁所在地です.隣県宮城県の仙台市と接しており,国内でも数少ない,県庁所在地同士が接する地でもあります.東北中央病院は,そんな山形市のなかでも東端の山麓,山紫水明の地に立地し,裏山では春は新緑,夏は蝉の声,秋は紅葉,冬は一面雪景色と,一年中四季おりおりの自然を楽しめます.この環境は,当院の設立理由と深く関係しております.
当院は,公立学校の教職員の組合である公立学校共済組合が母体となって,各地方に1つずつ,その地方名を冠して設立した8病院の一つです.系列病院の設立理由は,昭和20年代当時,日本中で結核が猛威を振るっていたため,全国の教職員の結核治療を目的として建設されました.したがって,当院も療養所的な性格もあり,市の東端の田畑が広がった山麓に,昭和33年10月に竣工の運びとなりました.当初診療科は,内科,外科,耳鼻咽喉科,歯科で,病床数は192床でしたが,そのうち156床は結核病床でした.その後,一般患者の増加とともに診療科も増加し,昭和54年に結核病床が全面廃止となり,ほぼ現在と同様な一般病院へと変遷しました.現在は,病院周囲の田畑も住宅地となり,病院のすぐ前を幹線道路である国道13号線が通り,非常に交通の便のよい立地条件へと変貌しました.当院の医師は,開院にあたり,当時結核の研究で有名であった東北大学抗酸菌研究所に全面的に援助を要請しました.外科も呼吸器外科医が中心となり,結核の治療から,徐々に肺がんの治療へと,疾患の変化に応じて呼吸器疾患の治療に尽力してきました.年号が平成に変わった頃,建物の老朽化も進み,全面改築の計画が浮上しました.平成7年5月の外来棟の完成で病院の全面改築が終了し,病床数が252床で最上階に35床のドック病床を有する,タイル張りの瀟洒な現在の病院が完成しました.それとともに,外科の医局が東北大学抗酸菌研究所から東北大学第一外科へと鞍替えし,一般消化器外科,乳腺外科を専門として現在に至っています.現在,日本外科学会,日本消化器外科学会の専門医制度の修練施設となっており,日本乳癌学会は関連施設となっております.
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