表紙の心・16
外科医の草分けジャン・ピタール
大村 敏郎
1,2
1川崎市立井田病院外科
2慶応義塾大学医史学
pp.523
発行日 1989年4月20日
Published Date 1989/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407210335
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グザヴィエ・ビシャー(Xavier Bichat,1771〜1802)の像が立っているのは旧医学部館の前である.その建物の正面の高い所には5人の横顔のレリーフがついていることは既に紹介した.左の2人が右を向き,右の3人が左を向いている.いずれも外科医で,この建物が外科医の力で造られたものであることを後世に伝えている.
一番右ジャン・ルイ・プティ(Jean Louis Petit,1674〜1750)は1988年の3号に登場した王立外科アカデミーの初代会長である.一番左にあるのが今月の写真ジャン・ピタール(Jean Pitard,1228〜1315)である.ピタールは後に聖ルイと呼ばれるようになるルイ9世(Louis IX,1214〜1270)の侍医であった.1260年頃彼が外科医組合の結成を呼びかけたのである.ヒポクラテス(Hippocrates,BC460?〜375?)の時代以前から外科という言葉も外科の技もあったのに,外科医という職種が生れたのはこの13世紀の後半である.
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