老医空談・7
迎新言始
斉藤 淏
pp.374-375
発行日 1989年3月20日
Published Date 1989/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407210311
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昭和最後の1月1日
除夜の鐘の余韻が消えるのを待って就寝するのが,迎春の例になっている.108の煩悩を消してから安眠しようというのではない.この鐘は私の生涯に余韻を残しているのである.その起こりは古く,中学生の頃,ある古寺で鐘をつかせてもらった時のことです.その2,3日あとになって,信者の1人から2つか3つ多かったと注進があった.早速和尚さんに詫びを入れておいたので,そのことはすっかり済んでしまったと思っていた.ところがその後,お札を数えているOLを見たり,そのほか何事につけ,終りにしようとするときには,きまって余韻が響いてくるのです.打ち止めの余韻が私の耳から離れていないのです.今年は,洋式の"凡鐘"のため余韻のないものがあったせいか,何も思わず,すぐに熟睡しました.
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