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■なぜ内科治療とのControversyになるか Mallory-weiss症候群(以下M-W症候群)は,1929年病理学者のMalloryと内科医のWeiss1)によつて記載されたのが最初である.すなわち彼等は頻回の嘔気,嘔吐をくり返した後で大量吐血をきたした剖検例を詳細に検索し,4例に食道胃接合部から噴門部にかけて縦走する幅2〜3mm,長さ3〜20mmの数条のlacerationを認め,この部からの出血死として報告した.当時M-W症候群はきわめて稀な疾患と考えられ,その診断は剖検あるいは手術時に行なわれ,多くは救命し得ない疾患と考えられていた.しかし1955年Whiting & Baron2)が本症候群を術前に診断し,外科的に救命し得た最初の例を報告して以来M-W症候群に対する外科的治療の意義は増大した.このように術前診断が困難で,大部分の症例が緊急手術時あるいは剖検時に診断されていた当時,M-W症候群は大量出血→緊急手術という概念でとらえられていたとしても不思議ではない.
その後Hardy3)が,M-W症候群を最初に内視鏡によつて診断して以来症例も増加し,ことにpanendoscopeによる緊急内視鏡検査の普及により,ここ数年の間に激増している.このように内視鏡検査によつて比較的容易に本症候群が診断されるようになつてからは,それまでチェックされなかつたような少量の出血のみで終る軽度のM-W症候群の占める割合が増加し,内科的治療で治癒する例も多くなつてきた.竹内4)が1977年に行なつたM-W症候群の全国集計によると,症例は216例で不明を除いた194例中,内科的治療を行なつたのは140例(72.2%)と約7割を占めている.またその死亡率は,内科的治療で11%,外科的治療で20%と外科的治療の方が高い死亡率である.外科的治療より低いとはいえ,内科的治療後の死亡率がかなりあることは,この中に手術適応例が含まれている可能性が大である.
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