患者と私
生甲斐
杉原 礼彦
1
1都立墨東病院
pp.1600-1601
発行日 1967年11月20日
Published Date 1967/11/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407204459
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高等学校の頃はなんとなく前途洋々たる希望に満ちていたが,ただ夢みる心地で現実的な目標などはなく全く呑気で楽しく日々を送つていた.併しこのような生活も長くは続かず,いよいよ大学へいくとなると,前途は急に限局され実際的であることに気づいた.当然のことではあるが,妙に寂しい気がして行方の選定に迷つた.ただ何が生甲斐があるかということを根底に置いて考えた.
物心ついてから私は医者になろうと思つたことはなかつた.私の家は代々医者で兄も医者であつたが,もつと気のきいたものになりたいと思つたからである.しかしどうにも私の血には医者というものが滲みこんでいるらしく,結局大学は医学部にしようと決めた.どうにかその大学も卒業し,外科の医局にも入局許可になつた.こうなつたからには何とか名医にならなければと思った.名医という言葉はもう歴史的な言葉かも知れない.今の若い人は笑うかも知れないが,ともかくそう思つた.しかしこの夢は戦争やその他の事情と,時代の変遷によつていつの間にか消えてしまつた,また外科医という求めた道も,そう簡単に計画通りにいくものではなかつた.本職と思う外科以外の仕事にもたびたび携わらなければならなかつた.十分に外科医として,満足すべき仕事もしないうちに気がついて見ると院長というようなものになつていて,当分の間は『メス』というものはお預けとなり,管理のようなことをする妙な羽目になつた,と自ら感心している.
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