追悼
篠井金吾教授への追憶,他
青柳 安誠
1
1関西電力病院
pp.1483-1484
発行日 1966年11月20日
Published Date 1966/11/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407204135
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9月3日夕8時,私は木村忠司教授から「いま篠井教授が亡くなつたという電報がありました」との電話を受けた.その前に,危篤だ,という電報もあつた由だが,なにも知らなかつた私はほんとうにびつくりしてしまつた.そのうえ,どういうことで亡くなられたのか皆目わからない,という木村教授の話である.
その日は土曜目であつたから,私は2時すぎに帰宅して,恰度コペンハーゲンでの国際胸部疾患学会から帰られた長石忠三教授の訪問をうけて,いろいろと話していたが,私は「あちらで篠井さんにも会われましたか」と尋ねた.すると,プログラムには載つていたが本人は見えなかつたから,どこか悪るかつたかもしれない,という答.私はこの夏,篠井教授から,同学会へお嬢さん同伴で出席するつもりだ,とあつたので,父娘づれで楽しい欧洲旅行をつづけておられるものとのみ思つていたのである.しかし,われわれがこんな噂をしていた時には,篠井教授はすでにこの世におられなかつたわけである.
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