コーヒーブレイク
ある神経学者への追憶
屋形 稔
1
1新潟大学
pp.1090
発行日 2007年10月15日
Published Date 2007/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542101348
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昭和33年にサンフランシスコのカリホルニア大病院に留学した.当時そこには日本の留学生は五指にも満たぬ寂しさであったが,前年に神経学教室に東大から椿忠雄という人が1年間滞在し既に帰国したが優れた方だったと聞かされた.これが先生との最初の縁であった.
昭和42年頃私は母校の検査部助教授で悪戦苦闘していたが,この年新設された神経内科の教授として着任したのが先生であった.教室員は一人もなく私の母教室から志願者が募られスタッフになった.主任の西川さんが東大で椿さんと同じ内科出で神経学にも少なからぬ関心を抱いていたせいであった.合同の懇親会で温泉場へ行き椿さんが私の民謡に感歎の声を惜しまれなかったのを覚えている.
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