病院めぐり
松下記念病院外科
野口 明則
1
1松下記念病院外科
pp.1259
発行日 2009年9月20日
Published Date 2009/9/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407102694
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平成20年10月に松下電器産業はよりグローバルな企業への脱皮を目指し,社名を「パナソニック」に変更したことをご存知の方は多いと思います.しかし当院に関しては「パナソニック病院」ではなく現名称が残ることになりました.それと言うのは,当院の設立には創業者の故松下幸之助氏個人とのかかわりが大変深いからです.
当院は昭和15年11月に幸之助氏の発意により会社直営病院として大阪府守口市日吉町に病床数13床の「松下病院」として創設されました.幸之助氏はみずから必ずしも頑健でなかったこともあり,従業員の健康にことのほか意を用いる一方,企業の社会的還元の窓口として本社や工場のあるこの地に病院が必要であると考えたそうです.そして,知己の間柄にあった京都府立医科大学第1内科の飯塚直彦教授の支援を得て開院の運びとなりました.以後,この大阪の地にありながら今日まで脈々と京都府立医大の系列病院であり続けています.昭和28年に会社の直営から松下健康保健組合に経営が移管され,その後,数次の増床増改築を経たあと昭和61年3月,さらなる飛躍を期して現在地に新病院を病床数359床で新築・移転しました.その際,現名称に改めて現在に至っています.
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