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麻酔法や防腐法(感染制御)が外科臨床の場に導入されるようになるまでは,腸管同士を吻合(anastomosis)することは頭のなかでは考えられても,実際には夢のまた夢であったと言ってよい.仮に腸管同士を吻合できたとしても,それは僥倖とも言うべき非常に稀なことであり,ほとんどの症例において致命的な腹膜炎(術後感染症)が必発し,患者を失っていたのである.
閑話休題.今回は,連載企画「外科学温故知新」で各論が開始されるのを受けて,腸管吻合の歴史的変遷を紹介していく.さて,黎明期の腸管吻合の歴史を通観するには,米国のニコラス・セン(Nikolas Senn:1844~1909)(図1)が1893年にJAMA誌(Vol. XXI, no. 7, August 12, 1893)に掲載した「Enterorrhaphy:Its history, technique and present status」1)が非常に有用である.ただし,ここで注目すべきことは,この論文のタイトルが「腸管吻合(intestinal anastomosis)」ではなく「Enterorraphy(ここでは一応「腸管修復」と訳しておく)」となっていることである.すなわち,その当時「腸管を縫う」ということは,今日われわれが行っているように腸管を切除したあとに腸管同士を「端々(end-to-end)」で縫合するようなものではなく,ちょうどヘルニア修復術を「Herniorraphy」というように,外傷などで損傷を受けた腸管の部分的な破裂ないし穿孔部を縫い合わせて修復する手技であったのである.さらにこのSenn論文では,腸管吻合の歴史的な変遷を「ケルズス(Celsus)以後」,「ランベール(Lembert)以後」,そして「リスター(Lister)以後」という3つの時期に区分しているので,この区分に沿って歴史的変遷を述べていきたい.
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