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あとがき
大橋 博司
1
1京大
pp.313
発行日 1981年3月1日
Published Date 1981/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406204737
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このところポーランドの政情が何かと不安らしい。何世紀にもわたる政治的苦悩にもかかわらず,この国の学者,芸術家には枚挙にいとまないほど秀れた人々が多いことは周知のことだ。そんな人々の中で,神経学者ならずともいやしくも医学生ならJoseph Babinskiの名を知らぬ者はなかろう。彼自身はパリに生れたが,その両親はポーランド人で,ロシアの圧政への反乱に失敗しパリに政治亡命した。バビンスキーか,ババンスキーか,よく彼の名前の発音が問題になるが,ポーランド風に書けばBabińskiで,バビニスキーと言うらしい。これはいつだつたかポーランドの精神科の女医さんから確かめたことだから,間違いはなかろう。
Babinskiは1882年に教授資格試験に挫折するが,かえつてこの失敗が彼には幸したのかも知らない。講義やその他の雑事にわずらわされることもなく,臨床と研究に没頭できたからである。彼の論文は2,3頁の短いものも少なくないが,そのいずれもが鋭い観察家,臨床家としてのエスプリを反映した珠玉の名篇といってよい。
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