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時実利彦先生がなくなられた。編集後記の執筆の順番が回って来た翌朝,先生の訃報を聞くことになつたのは悲しい。この前に本川先生の追悼の言葉をこのあとがきに書いた時にも感じたのだが,私のように神経生理を直接にやつたことのない者までが,しみじみと先生を憶うというのは,先生の幅広い無私なお人柄によるものであろうか。現在我国で,基礎と臨床を問わず脳と神経に関連ある仕事をしている者で,先生の御恩を受けたことのない者は少い。どなたも御存知のように,先生は東大脳研究所長,京大霊長研教授として長年脳研究にたずさわつて来られただけでなく,多くの俊秀を育てられた。また脳研連の中心的存在として,全国各大学の脳研の間接的な生みの親であり,3期にわたる脳関係の特別研究の企画者として,今日大きく開花した神経科学の諸研究のプロモーターであられた。この間,先生は文部省やその他の官庁の諸氏を説いて,脳研究の重要性を認識させ,研究機関の設置や予算の獲得に多大の努力を傾注された。さらに,数多くの講演や啓蒙書によつて社会の理解を深め,また国際交流を盛んにして,我国の研究を世界に知らせると共にそのレベルを高められた。
まことに先生は文字通り東奔西走,必ずしも健康に恵まれなかつたお体を押して,人々の為に努力の一生を送られたのである。先生は東大をやめられる時の記念講演で,山中鹿之助の言葉をひいて次のようにいわれた。「憂きことのなおこの上に積れかし,限りある身の力ためさん」口さがない後輩は先生の無私の御努力を知つているだけに逆に悲しくなっていったものである。「先生は何だつて無理をするのかね。それにしても山中鹿之助とはねえ」先生は半歳余に及ぶ厳しい死の床で何を考えられておられただろうか。私は先生の中に今は数少くなった志士を見る思いがする。
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