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外科及び神經學の不斷の進歩
前述の如く英國ではJackson, Schafer, Fer—rier, Gowers, Sherringston, Horsley, Mills等に依て腦外科の進歩を來した。又腦の生理,病理及び外科の知識が増加して,病氣の診斷を容易に可能にし,手術を成功裡に施行することが出來る樣になつた。單に腦腫瘍の症例のみに止まらず,他の多くの頭蓋内疾患の手術も出來る樣になつた。此所に興味のあることは,先づ病理的の疾患の記載疾病の圖説等がなされるのであるが,此等の疾病の治癒に對して手術的方法が採用され實施さるゝまでは如何に長い空隙の時間が過ぎ去るかという事を考えてみたい。Hooperは1826年に腦の限局せる及び擴大性の膿瘍の美麗な圖説を發表しておる。又Cruvei—thierは1835年に側頭蝴蝶膿瘍の圖説を公表した。又Richard Brightは1831年に側頭蝴蝶膿瘍の圖説を發表した。又Brightが1831年に側頭蝴蝶膿瘍より起た,側頭骨疾患を發表した武Auvertは1851年に小腦膿瘍の最初の圖説を發表した。又初めての腦膿瘍に關する完全な論説は,Lebertによつて1856年に發表された。此の中には80臨床症例の記載があり,これを基礎として考察がなされた。又Lebertは病理の彼の圖譜の中に,小腦橋脚腫瘍の圖譜が發表されてある。又側静脉竇性敗血症はAbercrom—bie (1828), Arnott (1828), Richard Bright(1829), Sédillot (1849)によつて記載され,又Hooper (1826)及びLebert (1859)は側静脈竇性敗血症を圖説と共に記載している。
所が此等の疾患の手術は,可成り後になつて初めて手をつけられている。即ちMacewenは側頭蝴蝶膿瘍を1881年に手術している。又Schwartzは小腦膿瘍を手術して成功をおさめたのは1887年である。であるが吾々は1752年にMorandは51才の像徒の側頭蝴蝶膿瘍を手術して,救命し得おことをわすれてはならぬ。外科の進歩は遲々としてはいるが,或る進歩に貢獻した人々の中,或る人々は知られているが,多くの人々はその名聲が知られていない人もある。吾々は此等の人々に對して負うていることを決してわすれてはならぬ。これは外科の歴史に於ても最も大切なことが發見されずに失われている。此の事についてCarlyleは歴史に記述している。
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