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先日,息子の留学先であるトロントを訪ねた。彼は私より30歳年下の精神科医である。彼は学生時代には夏休みを利用して高良興生院に通い,森田療法を見学し,患者に率先して作業をしたりして,私の恩師である高良武久先生を喜ばしたりしていたが,精神科医になってからは,すっかり方向転換して,分子生物学にのめり込んでいる。夕暮れにトロントの街を歩きながら,お互いの近況を語り合った。息子は基礎と臨床のはざまに立って,ひとりで悩んでいるようだった。基礎的な研究が進めば進むほど,臨床がおろそかになることに苦悩している口振りだった。しかしそれは,自分が選んだ道である。自分で解決しなければならない問題である。私は,息子に「今夜,森田正馬の人と業績について講義をしてやろうか」と提案した。彼は,意外にも私の申し出を素直に受け入れた。
息子のマンションの一室。風呂上りの親子はラフな格好で,ソファーに腰を下ろした。スライドも黒板もない。私はエピソードをたっぷり盛り込んで,森田先生の生涯を語り,森田療法の起源とネオモリタセラピーの意義を講義した。息子は最初のうちはメモをとっていたが,そのうちソファーに寝転がって私の講義に耳を傾けた。森田療法の理論や実践は息子も先刻ご承知である。私は1人の分からず屋の精神科医を魅了するように工夫した。とにかく,笑わせてやろうと思った。約2時間,私は一世一代の名講義をした。息子は終始笑い続けていた。変な講義が終わると,彼は「ありがとう」と素直に感謝したが,「ネオモリタセラピーは良くない。せっかく森田療法という言葉が定着してきたのに,それを壊すのは森田療法学会理事長である親父の売名行為ではないか」とか,「森田先生は変人だね」とか意見を述べた。それに対して,また私が講義を始めた。森田療法は森田一代の名称でよい。森田没後の森田療法は理論の面でも技法の面でもネオモリタと言うべきである。精神分析も決してフロイト療法とは言わない。だからこそ,あのような発展を遂げたではないか。森田先生は変人や奇人のようにみられるが,先生が終生求めていたのは,常識的な平凡な人間である。平凡であろうとすることは極めて困難なことである。森田先生は「平凡の中の非凡」ともいうべき人物だ。生意気な息子は,結論を保留した。
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