Japanese
English
- 有料閲覧
- Abstract 文献概要
- 1ページ目 Look Inside
はじめに
あれは確か1990年代初めの出来事だった。あるイタリア人青年から突飛な質問を受けて往生したことがある。「日本では,いったん入社すると,一生雇ってもらえるんでしょ。クビにならないんだったら,どうしてそんなに残業なんかするんですか……」日本の終身雇用制と日本人の長時間労働は,当時すでに世界的に有名だったらしい。
あれから10年,21世紀を迎える現在,日本の職場環境は大きな変革期にあるようにみえる。
わが国の伝統的な雇用システムであった年功序列制と終身雇用制が崩れつつある。これに代わって,能力制・成果主義や裁量労働制が採用され,在宅勤務も稀ではなくなった。また,常勤者が減り,従来からのパートタイマーに加えて,嘱託社員・契約社員・派遣社員など,さまざまな雇用形態が出現している。高齢化社会を控えての高年齢労働力,さらに現在子育てのために離職を余儀なくされている女性労働力の活用という点でも,雇用の形態はさらに多様化していく可能性がある。景気変動による雇用情勢への影響も看過できない。また,技術革新,ことに通信情報技術の急速な進歩も,職場の変化に拍車をかけている。
こうした状況下で,職場のストレスの問題は,現在どのように展開しているのだろうか。
周知のように,1998年には31,755人という未曾有の自殺者数を記録した。前年比35%増である。男性では自殺者の45%が40〜59歳の働き盛り年代で占められていた。労働者の自殺や精神障害に関する労災保険給付の請求は急増し,ことに自殺に関する損害賠償請求訴訟は高い社会的関心を集めるに至っている。なお本稿に頻出する「労働者」という用語は,ブルーカラー層に限らず,勤労者一般を指すものと解されたい。
本稿では,個々の症例からの展開という臨床医学での手法をあえて用いないことにしたい。産業精神科医の役割は,職場での精神疾患罹患者の診断や治療にとどまらず,健康者,半健康者,疾病罹患者などすべての勤労者のこころの健康増進のサポートにあると考えるからである。しかし,そのために,職場のストレスの現状が,本稿を通じて具体的に伝わらないことも懸念される。職場のストレスの総論というテーマ柄,基礎的な事項にも触れねばならないことを考慮するとなおさらである。そこで,まず某企業で産業医を務める精神科医に与えられたある具体的な課題を紹介することで,本稿をひもといていきたい。
Copyright © 2000, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.