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はじめに
わが国には長い間司法精神科臨床の場がなく,そのことが司法精神医学の発展を大きく阻害してきた。その意味で,2003年の医療観察法の制定により重大犯罪6罪種を犯した触法精神障害者を対象とする医療観察病棟が各地に整備され,日本司法精神医学会が設立されたのは歓迎すべきことである。その上,実現した医療観察病棟は英国の最新の地域保安病棟をモデルとし,施設基準,人員配置基準ともわが国の一般精神科病院のそれを大きく上回るものとなり,そこでは個々の事例についての慎重な調査,診断,治療目標の設定が行われている。各事例のニーズに応じた適切な治療プログラムが組まれ,リスク評価を随時実施しながら退院に向けての充実した多職種チーム医療が行われている。その成果は,本制度制定以前には高頻度にみられた重大犯罪を繰り返す触法精神障害者が,その後ほとんどみられなくなったことからも明らかである。
とはいえ,医療観察制度の施行は,1950年の精神衛生法の施行以来,触法精神障害者処遇策を巡りわが国の精神保健行政と司法・法務の実務との間に生じた大きな断裂の一部を修復したに過ぎず,6罪種以外の罪を犯した触法精神障害者は従来通り措置入院の対象とされ,中には適切な治療を受けられぬまま再犯に至るケースも後を絶たない。
措置入院後に大量殺人事件を起こして昨年(2020年)最終判決が下された事件が2件ある。1件は2015年3月に生じた淡路島5人殺害事件であり,犯人H(犯行時40歳)には1月27日に大阪高裁で無期懲役の判決が下された。他の1件は2016年7月に生じた相模原障害者施設殺傷事件(19人殺害,26人重軽傷)で,犯人U(犯行時26歳)には3月16日に横浜地裁で死刑判決が下され,Uが控訴を取り下げたため死刑判決が確定した。
この2つの事件について,可能な範囲内で筆者なりの調査をしてみると,わが国の精神科医療と司法精神医療・医学の将来を考える上で重要と思われるいくつかの教訓が含まれていると感じさせられた。筆者はすでに第一線を引いた身で,新たに何か行動を起こすことはできないが,志ある方々がこれらの事例の遺した教訓を生かして下さることを心より願い,本小論を書かせていただく。
そこでまず,これらの事件が生ずるに至った経緯などを,それぞれの地元紙(神戸新聞,神奈川新聞),朝日新聞その他インターネット情報(「H」示現舎編など)や,神奈川新聞と朝日新聞の取材班による書籍1,2),厚労省・再発防止検討チームの中間報告3),兵庫県・検討委員会からの提言,判決要旨などを参照し,簡潔に記させていただく。
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