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私は,さきに大正大学より,昭和58年に同大学カウセリング研究所が創立20周年を迎えるにあたり,所長として研究所の再建,充実を図ってほしいと要請され,同年4月より61年3月停年退職までの短期間ながら,私なりに精力を傾倒した。私自身,精神療法の諸理論を深く勉強し,それらの技法に則って計画的に実践した経験も乏しいが,精神科医療に携っている間に,相手の気持への配慮なしに,どかどかと相手に入って行こうとして相手の心を傷つけたり,自分の気持が相手から逆にはね返ってきてハッとするなどを経験し,相手を客観的にながめつつ,Now and Hereを大切にし,「同行二人」という気持で共に歩むことが肝要なのだと考えるようになつた。しかも,この当り前のことがいかにむつかしいことであるかもわかるようになり,いわゆる精神療法的接触こそ,すべての精神科医療の基盤であると考えるようになり,他方,わが国の精神科医療の改善には心理・社会的な考えの導入の重要さを痛感していたので,困難な任務と承知しつつ,研究所の研究活動,臨床相談,各大学諸学部卒者で研修を志願するものより選考しての2カ年の研修という仕事に精力を傾けた。ここでは,その間の所感の一端を述べてみたい。
私は,わが国において,心理臨床という言葉が定着してきたことを,心理面に悩み,問題をもつ人々のための,心理学的アプローチによる臨床的実践という困難な業務に従う方々の主体性をたかめ,その専門性を明確にしようとするものとして高く評価したい。現在わが国の心理臨床家(医療関係については後述する)は,児童相談所,教育相談所,大学における学生相談室,精神薄弱者等の福祉関連施設,家庭裁判所,鑑別所,少年院などで活動し,また大企業の保健室で「カウンセラー」として働く方など,広汎な領域で活動しており,今後,わが国の精神保健活動の重要な一翼を荷うべきである。この中で,家庭裁判所調査官のように,身分も安定し,現場に入ってからの組織的な研修計画が充実しているところもあるが,多くの職場では,身分も不安定で,勉強する機会にも恵まれず,孤立している。幸い,全国の諸地域において,大学,研究所などを拠点として,精神療法に関心をもつ精神科医も加わっての勉強サークルが生れつつあり,関係者の献身的努力に感謝したい。また,心理療法・心理相談の私的開業にいどむ方も現われてきた。精神科クリニックを訪れるときのような抵抗感は少ないといえようが,そこでの経験を持ち寄って,そのあるべき形態について論議されねばならないであろう。
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