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I.はじめに
やせ願望を直接の契機として自発的食事制限を開始し,次第に食行動の自己コントロールの喪失という病態に陥っていく神経性無食欲症者は,近年著しく増加する傾向を示しているように見える。時折本症がマスコミの話題になって,本症者の悲惨な結末などが新聞紙上をにぎわすこともあるが,また同時に本症はこの時代の必然の落し子のように論じられたり,やせ願望をつのらせ自発的節食を奨励する広告が満載されているのをみると,今後とも恐らく本症者は確実に増えていくものと思われる。そうした中で臨床家は,多様化する本症者に対して実際的な対応を迫られることになるであろう。
その特異な病像と青春期の女子に好発するという特殊性故に,本症は諸研究者の大いなる関心を集めて,序論でも触れられている如くすでに本症に関する意欲的かつ多面的な研究報告が蓄積されてきている。今やわれわれは必要とあらば本症に関する豊富な知識と一定の理論を,それらの中から容易に得ることが出来るであろう。しかし敢えて不幸にもと言って良いと思うが,今日かくも本症に関する知識が豊富なことが,かえって臨床実践を誤らせ困難にしていることがありはしないだろうか?もしかするとこの20数年の間に本症の病態に変化が生じていて,既存の理論で対応しきれないという側面があるやもしれぬが,もともと本症がわれわれに強く理論的な関心や興味を呼び起こす特質をもつが故に,容易に入りこんでくる説得力の高い理論がかえって治療者の目を曇らせ,治療実践の個別性を見失わせる結果になるように思われる。例えば基木的な欲求である「食」を拒むという病態に好奇心を寄せ,言いえて妙な「成熟拒否(嫌悪)」という説明概念に成程と肯き,本症者が一面で見せる物分りの良さや時に豊かでさえある言語表現に治療的期待や野心を抱いたものの,「乏しい治療動機」を前にして立ち往生してしまい,遂には「病識の欠如」故に治療は困難であるという結論を出すといった経験を,多くの方がお持ちではないかと思われる。知識や理論が客観的事実であるかのように定立されると,実はそれらは,治療者や家族と症者との相互作用によって生み出されているという事実そのものへの感受性が雲らされるのであろう。そのような点からするとシンポジウム当日,小倉が共感をこめて紹介し,筆者らも学ぶことの多かった滝川の論文8)は,治療そのものと治療についての知識(論)との違いが自覚された,真に治療的・臨床的な治療論として,優れて啓発的な論文といえよう。
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