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前存在論的理解――「現存在自体に属する本質的な存在傾向原注1)」――の主題化と「徹底化(Radikalisierung)」としての存在の問いは,われわれがすでに述べたように,存在者ではなく,存在を問題にする。存在者はそうしたものとして現存在とは「無関係に」,「ある(gibt)」し,またそれは,たとえそれらの「なかに」存在者がそのつど「存在する(ist)」ところの存在者であること(Seiend-sein)のさまざまな様式の了解的および概念的な説明が現存在にのみ,また現存在からのみ可能になるとはいえ,その存在者であること(Seiend-sein)を決して現存在には「負って(verdankt)」いない。存在はけれども現存在の「なか」に「ある」のであり,単なる存在者は彼の「外に」ある原注2)。現存在分析論は存在者を――いわばそれの存在理解の「産物」として――現存在に「依存」させているという時として現存在分析論の管轄下に置かれている「観念論的」命題は間違っていたし,また存在と存在者との混同に基づいている。「有限性が実存的となった場合にのみ存在というようなものがあり,またあらねばならない」とHeideggerは述べている。そして実存は,存在様式として「それ自体において有限性」であり,またそうしたものとしてまったく「存在理解という基盤に基づいて可能」なのであるから原注3),存在に関して(存在者に関してではない)次のように主張してもよかろう。すなわち存在は現存在の「機能」であり,存在理解によって「措定されている(gesetzt)」し,――しかも,存在を一度も「措定」しないということを現存在に不可能にする本質的な不可避性をともなっていると。存在は従って現存在の存在的性格に属しており,また存在,理解的(seinsverstehend),存在一論的(ontologisch)に存在するという現存在の存在者であることの様式に属している。「存在理解はそれ自体現存在の一つの存在規定である。現存在の存在的特徴は,それが存在論であるということに隣接している原注4)」。すべての残りの現存在的でない存在者――事物,植物,動物,観念的形成物など――とは反対に,現存在には次の三重の優位がふさわしい。1)存在的優位。それは,「この存在者がその存在におつて,実存によって規定されるということ」,すなわち,その存在に対して振舞うことができるという「能力」によって規定されるということにある。2)存在論的優位。現存在は「それの実存規定性に基づつてそれ自体『存在論的』である。そして3)存在的,存在論的優位。それは,実存理解の構成体として現存在には,「あらゆる現存在的でなつ存在者の存在の理解」が属している限りにおつてである。「現存在的でない存在性格をもつ存在者を主題にもつ諸存在論は,従って現存在自体の存在的構造のなかで基礎づけられておりまた動機づけられている。原注5)」それゆえHeideggerは存在論あるいは現存在の実存論的分析を「基礎的存在論(Fundamentalontologie)」とも呼んでいる。というのもそれによってはじめて残りの存在者の存在者であることの諸様式が区別され把握されるからである。
前存在論的存在理解のもとで「理解され」,「措定され」あるいは「投企された」存在は不確定である。この無規定性は,現存在にそれ自身の存在,世界およびそのほかの存在者の存在を「存在者的(seiend)」として語りかけ判定することを許すのだが,それによって,その「なかに」さまざまな存在者が「存在する」いくつかの種類の存在者であること(Seiend-sein)の区別がすでに為されているわけではない。従って,あたかもどんな存在者もその存在者であること一般においては区別されず,「普遍的な」,「統一的な」仕方で存在するという印象が生ずるはずである。このような仕方は,それにもかかわらず必ずしも存在理解の漠然とした存在からは規定されず,むしろある特別な存在者の存在様式もまた――たとえば「生命のない事物」あるいは「意識」一(憶測上の)「存在一般」の手本になりうる。このような仕方でたとえば「現実主義的」(「唯物論的」)あるいは「観念論的」存在論は生ずるのだが,それのそのつどの普遍的な要請は根拠がないに違いない。同じく現存在は,彼が存在理解のもとで,彼自身の存在あるいは「自己-存在(Selbst-sein)」に付与する存在性格をたいていは現存在的でない存在者から取り除く。「現存在は……彼に属する存在様式に従って,自己の存在を,彼が本質的に絶えずまたさしあたり態度をとっている存在者から,つまり『世界』から理解する傾向をもつ。現存在自体および同時に彼自身の存在理解」のなかにあるのは,事実上自己の存在をゆるがせにすることに通じている「世界理解の存在論的反射原注6)」である。
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