動き
第30回日本病跡学会印象記
福島 章
1
Akira Fukushima
1
1上智大学文学部心理学科
1Department of Psychology, Faculty of Literature, Sophia University
pp.1000-1001
発行日 1983年9月15日
Published Date 1983/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405203648
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日本病跡学会は,昨年まで年2回の総会を開催していたが,1983年からは年1回の総会にすることに変更された。そのためもあってか,5月20〜21日に名古屋市で開かれた第30回総会(会長:米倉育男・国立療養所東尾張病院長)は,一般演題15題,シンポジウム4題,特別講演1題という,きわめてもりだくさんな内容の学会となり,参加者も多かった。私は,始めから終りまでフロアで聞きとうしてみたが,かなりの疲労感とともに,快い充実感のようなものを感じ得たのは幸いであった。しかし,同時に,病跡学のもつ拡がり,方向,方法の多様性を今更のように思い知らされ,同時に,日本の病跡学・病跡学会が今まさに,大きな転回点に立たされているのではないかという感慨を禁じ得なかった。
たとえば,「病跡学とは」というテーマのシンポジウムが昨年の第28回総会で持たれているが,今回も荻野恒一氏が一般演題の中で「パトグラフィとビオグラフィ」と題する発表を行った。その内容は,パトグラフィをpathos(悲愴,崇高,受難病などの意)を人がいかに受けとめるかという人間的な営みにかかわる学問であって,脳の病などに病と創造を還元する生物学的方向とは区別されるべきであるとする,氏の年来の見解を改めて主張したものである。学会雑誌にたとえれば,これは原著論文というよりは巻頭言や展望論文にあたる発表で,かならずしもオリジナルとはいえないが,それをあえて一般演題の中で繰り返した荻野氏の情熱の背景には,近年多くのパトグラファーが感じているであろう一種の危機意識がうかがわれたのである。
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