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(1)イギリス公衆衛生の先駆者達は最初はすべて社会改革論者であって医師でもなければ学者でもなかったと言われるが,合から200年前,ジョン・ハワードをヨーロッパの病院と監獄の改良運動にかりたてた人道主義精神は正に産業革命の生んだおとし子であった。彼は当時医師すら顧みようとしなかった病人,犯罪者等の単なる隔離,抛置,終焉の場所にすぎなかった病院と監獄の悲惨な状態をつぶさに書き記し,それをあくまでも治療,社会復帰の場所に改良しようとして一生を捧げ,最後は僻地のペスト救援に倒れた。しかし医者でも学者でもない彼の名は医学史に,矯正の歴史に大きな足跡を残した。今もなお各国で人道主義活動を行なっているハワード協会やセント・エリザベス病院の有名な犯罪精神病院ハワード施設に彼の精神はうけつがれている。バーナード・グリユック,オーバーホールザー,ベン・カープマン等の著明な精神医学者を社会精神医学の分野に送り,また,カープマンの説くno punishment,treatment onlyのスローガンは犯罪者といえども精神障害が認められれば当然優先的に治療の対象となるべき旨を規定したDurham Ruleを生んだ。
約100年前,アメリカの若き宣教医師ベリーは神戸,大阪等の病囚の診療にあたり,その余りにも悲惨なる状態に驚き自発的に改良に志し大久保利通を動かして,73項目にわたる報告書に基づく犯罪者処遇の改善を促し,はじめて中央に監獄局が設けられる緒口をつくり,わが国の矯正改革の先駆者としてまた,日本最初の看護婦養成学校の指導者として日本の医療史と,矯正の歴史にその名を刻んだ。医療福祉と矯正福祉はもともと同じ歩調で進んで来たのである。
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