古典紹介
Eugen Bleuler:Freud'sche Mechanismen in der Symptomatologie von Psychosen〔Psychiatr-neur. Wschr.,34;316,35;323,36;338,1906.〕
下坂 幸三
1
Kozo Shimosaka
1
1下坂クリニック
1Shimosaka Clinic
pp.205-215
発行日 1979年2月15日
Published Date 1979/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202900
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シュピールベルクSpielbergは,神経学中央雑誌(Centralblatt fur Nervenheilkunde)において,フロイトの精神分析について,フロイトの問題提起と考想を知った者は,びっくりさせられるであろうと論評した。シュピールベルク自身は,フロイトの精神分析を追試はしなかった。バーデン・バーデンにおける去年の西南ドイツ精神神経学会において,アシャッフェンブルクAschaffenburgは,その見事な講演のなかでおもに,フロイト理論の最も弱い面,すなわち治療の問題を取り上げて,フロイトをはげしく攻撃した。その講演は,成功しすぎた感がある。参会者のそのさいのさかんな拍手は,そのなかに大変好ましい価値のある一人の子供がいるかどうかを観察する時間の余裕がないままに,風呂の中のものをできるだけはやく,すべて流し出してしまおうという傾向をはっきり示していた。
私が以下に述べるところは,全体の中から一つの現実的な批判を呼び出そうという要求から生じている。私が,フロイトについて思い違いをしているのではないとするならば,フロイトの理論を詳しく調べてみることは,少なくとも低く見積ることのできない利益をもたらすはずである。私が,確信しているように,フロイトの見方の中に,何か正しいものがあるとするならば,そのような重要な認識に対して,学問に至る道は,閉ざされるべきではなかろう。
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