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この療養所の活動第2報は,開設当初3年間の活動に関する前回の報告に引き続くものである。最初の報告には,当所の建物の配置や身体的,精神的療法を詳細に述べた。
前回報告後まもなく狂躁病棟の拡張計画が完了し,その整備の適切さが証明されてきている。つまり,2つあったアウテンリート式保護室は他の保護室と同じものに改造された。というのはここでも,それが,より好ましく,より人道的な設備の代用にしかすぎず,どうしてもやむをえない場合たまに使うだけだということがわかってきたからである。次にこの病棟の中庭に広いわらぶきのあずまやを設け,日差しの強い暑い日にも患者が戸外で過ごせるようにした。療養所の建物の外装は全部明るく気持のよいしっくいとし,以前には十分でなかった窓も全体と調和するように設けられ,正面の建物にコの字型に囲まれた大きな中庭は,舗装の破損したところもあったのだったが,いまでは立派な噴水を備えて,気持のよい立派な庭となった。患者の居室や寝室のどの部屋からもこの庭を直接眺めることができる。こうして療養所全体の外観は,以前にくらべるとずっと親しみやすく好ましい印象を与え,見た目にも,気持の上にもよりやさしく語りかけるものとなった。6年間の経験から,われわれの建築,設備には,療養所の力強い調和のとれた発展のために多少とも不可欠なものすべてがそろっているとの確信を深めている。もちろんこの世の中に完全なものなどあるわけがなく,新建築にも所々に,おそらくああすればよかった,こうすればよかったといったところがある。さらに古い館が備えていたよい点,有用な点のいくつかが,あるいは失われたかもしれない。いずれにせよはっきりいえることは,新しい建物ができたからといって,それで入院患者を1人でも多く治療できるようになるというものではないということである。大切なのは療養所の建物より精神であって,設備がどんなに立派でも,それで精神を補うことはできず,むしろ精神で建物を補うことができるのだと確信はしているが,だからといって新しい建物のほうが古い建物を利用するより有利な点があるということを認めないわけではない。患者は5つの病棟に分けられているが,病棟はいずれもよく見通せて,非常に管理しやすくなっており,相互に接近しすぎても離れすぎてもおらず,採光,通風,眺望,静けさは保障されていて,こうした点で,これ以上のものは望めないほどである。しかし昔の建物に,われわれのところでみられるようにすぐれたところがたくさんあるということは,なかなかないものである。計画されていた運動場は1837年はじめには完成し,以来よい季節には,身体的,精神的治療の促進に著しく役立っている。もっとも恵まれない階層の患者に対する州の保護政策は,引き続きこの療養所の整備完成に示されたばかりでなく,さらに州は養護施設(Pflegeanstalt)を設けて二通りの組織を作り上げた。この養護施設は,療養所と同じく人道主義と進歩した医療という原則にのっとり,精神障害者のために,収容施設(Detentions-anstalt)が真に面目を一新したものである。この療養所と養護施設とを完全に分離するということは,多方面から,信頼に値する専門家からさえも,実にさまざまの形できわめてはげしく攻撃された。しかしわれわれは,州がこの階層の患者の保護においてその課題と技術的なことを完全に解決するには,こうした分離しかないと考えている。この問題ではとりわけ,経済性ということはあきらかに次元が低く容認できないのでさておくとして,理論や恣意によってではなく自然にはっきり示されている比較的治癒可能な精神病者と比較的治癒不能なものとの区別を念頭におかなければならない。療養所と養護施設の完全分離に対するおもな反論はいずれも,要するに完全に分離された養護施設は,療養所と同等ではなく,同一の人道的,科学的精神によって満たされることも活気づけられることもあり得ないという前提に立っている。しかしコルディツのザクセン養護施設においてハイナーがみごとな先例を示しているように,これら姉妹施設がその課題を精神と力と忍耐をもって遂行し,2つの分離された施設が人道性と科学への一つの愛で一致して協力しあうならば,当然その成果は大きくゆたかとなる。しかも2人の人物がそれぞれのきわめて独得な活動範囲において各人の究極的には不可分な一生の課題を自覚し,十分な組織的,人格的統一において彼らの世界を充実させ,それに生気を与えるべきであって,溜ってくるたくさんの患者をかかえた療養所兼養護施設のそれぞれほとんど特異的ともいえるほど違った課題を一人の人物の監督下におくべきではない。たとえその人物が熱心この上なく天分ゆたかで,その上多くの医師の助けをかりることができたとしても成果はあがらない。また2人のそれぞれ独立し同じ地位にある院長が2つの相互に合併した施設の上に立つという場合も同じである。このような場合,2人とも同様に一つの大きな使命に専念するのではあっても,その2人が協調してやってゆくということは,一般に考えられるよりもはるかに困難なのである。というのは,施設の一般的規則とならんでもっとも影響力をもつのは院長の独得の精神に他ならないからである。その精神は所定の規則すべての上に,独創的,支配的にあらわれてくる。それゆえ,すこしでもすぐれた療養所あるいは養護施設は,院長の人柄を反映し,さまざまの形をとってくる。
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