資料
「ペンシルバニヤ癲狂院長閣下ニ送ル答辯書」に想う—日米交流の事始め
鈴木 芳次
1
1前東京都立松沢病院
pp.1109-1120
発行日 1976年10月15日
Published Date 1976/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202544
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昨年京都における日本医学会総会の折に開催された「京都の医学史展」の中に〈癲狂院資料〉も展示されるというお便りを守屋正先生からいただいたので,早速京都府立総合資料館に出かけたところ,それは半紙大の左半分は看病人の心得,右半分は新設工事仕様書の表書が見開きになって展示されているだけであったのには全くがっかりしたのである。それも幸いに案内役の奥川富士子夫人がちょうど望遠鏡を持っていたので,それによって陳列ガラス越しにやっとのことで判読できたような次第であった。
この所蔵者の清水三郎先生の経営する財団法人川越病院(京都市左京区浄土寺馬場町48)には,その前身である私立癲狂院(京都府立癲狂院継承)の開院式(明治15年)における京都府知事北垣国道の祝辞の全文が扁額になって掲げられていることを知っていたので,急拠雨の中を拝見に参上したところ,幸い清水院長はおられて,前記の展示された雑書綴は15年前に偶然に邸内から発見されたものであって,その中には明治時代にアメリカ合衆国のペンシルバニア精神病院から日本の精神病者および精神病院に関しての17ケ条の質問書が来たのに対しての回答書の原稿も入っているとのお話なので,なぜ,このような貴重な文献を説明を付けて表面に出しておかなかったのかと,大変遺憾におもったのである。
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