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特集 在宅精神医療—日常生活における指導と治療
Ⅰ.在宅精神障害者の動態(実態)とその処遇—何に困っているか,何ができるか,何をなすべきか
閉ざされた地域(長野県木曽)における精神医療
Mental Health Activities in an Isolated Region: A report from Kiso Valley
金松 直也
1
Naoya Kanamatsu
1
1木曽病院精神神経科
1Dept. of Neuropsychiatry, Kiso Hospital
pp.627-636
発行日 1976年6月15日
Published Date 1976/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202497
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I.はじめに
この小文は,精神医療の実践に際し,具体的に何に困っているか,何ができるのか,何をなすべきかを,木曽谷での6年間の体験を通してまさぐろうとする。この際,煩雑を省みず,いわゆる地域精神医療に対する私の考え方の経緯をつけ加えようと思う。何故なら,私が木曽谷で精神障害と取り組んできたこの6年間こそ,精神医学,医療界においては,疾風怒濤の時代であったし,今なお「精神医療とは何なのか」という根源的な問いが,問われつづけているからである。私はこの問いを意識せずに報告をなしえない。かつて,私は地域精神医療を実践する故に,自らを従来の精神医療に対する挑戦者と位置づけ,自分をこの社会構造と,それにつきまとう価値体系の埓外においていた。実践の中で,おぼろに芽生えていた私達のやり方についての疑問は,1972年,第6回地域精神医学会において,はっきり現れてきた1)。即ち,精神医療の治安性は,地域精神医療においても別ではなかった。否,地域精神医療においては,なおのこと危険だとする指摘2)は,正鵠を射たものであった。しかし何よりも,実践の中から試行錯誤しながら進むことを大切にしていた私は,指摘があまりにも論理的で,容赦ない形でなされたので,感情的な抵抗感をもったのも事実だった。この問題提起は,木曽で始めていくらもたたない私の気負いを打ち砕くのに充分であった。私は秘かに,実践によって答を示そうと期した。この時自分の中に生じた変化を,私は大切にしてきた。それから更に3年余が経過したが,私の目論見は果たされていない。その現実をここでもう一度点検しなおそうと思う。
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