追悼 島崎敏樹先生を偲ぶ
略歴と主な業績
宮本 忠雄
pp.655-656
発行日 1975年6月15日
Published Date 1975/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202334
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故島崎敏樹先生は大正元年11月8日,東京市赤坂区青山南町に生まれた。昭和46年に逝去された母堂西丸いさ子殿は島崎藤村の姪にあたる。麻布中学校,第一高等学校を経て,昭和12年3月東京帝国大学医学部を卒業,ただちに同医学部精神病学教室に副手として入局,その後4年間の東京府立松沢病院勤務をはさんで,昭和17年東京帝大助手,18年附属病院外来医長となられたが,翌19年には弱冠31歳の若さで東京医学歯学専門学校教授に就任,同25年東京医科歯科大学教授に昇任された。
その間,戦前・戦中に従事してこられた脳組織病理学の研究から戦後は精神病理学へ転向,「精神分裂病における人格の自律性の意識の障碍」(昭24〜25年)で学位を受け,以後もこの方面で別記のようなすぐれた業績をあげ,同時にヤスパースの『精神病理学総論』の紹介などをとおして,日本における精神病理学の基礎づけに努力された。昭和39年に日本精神病理・精神療法学会の創設に参加,42年に同学会の第4回大会会長をつとめられたのもそういうご努力の一環である。なお,名訳のほまれ高いヤスパースの訳業に対しては,昭和31年に財団法人神経研究所より第1回内村賞を授けられた。他方,日本精神神経学会においては長期にわたって理事・評議員・編集委員(長)・用語統一委員長などとして活動されたほか,昭和37年には実兄西丸四方教授を援けて第58回日本精神神経学会副会長,38年には日米合同精神医学会議の組織委員の任務を果たされた。そのほか,公私各種にわたる審議会の委員などを列挙すれば限りがない。
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