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I.はじめに
痛みはその根本において,生命の危険を知らせ,身体の安全を守ろうとする危険探知感覚としてあり,万人に共通の原始感覚(protopatic sensation)である。しかし,たとえそうした純粋に生理学的現象として生ずるいわゆる真の痛みでも,一旦それを人間が体験し反応することになると,必然的にその人間に固有の苦痛や不安といった感情が伴ってくる。痛みに関する最も初期の頃の研究は,主にその感覚要素に対して解剖学的,生理学的に解明せんとする追求であった。そしてそうした追求が進むに従い,その後の研究は解剖生理学的には矛盾した痛み現象に直面せざるを得なくなり,どうしてもそこに介在してくる感情反応をいかに除外するかという点にかかってきた。そのような意味から今日に至っては,痛み現象の感情的側面の心理学的追求がより重要視されるようになり,むしろまったく逆の立場から,心理学者や精神医学者による転換ヒステリーや心気症者の痛み,すなわち心因痛の研究がとくに欧米において,数多く見受けられるようになった。筆者3,4)も精神科医としての立場から,心因痛や幻影肢痛を引き起こす心理機制について精神力動的観点からの若干の考察をなして発表してきた。今回はやはり同様の立場から,とくに心因痛患者の攻撃性(aggression)をとりあげ,それが対人関係の中でどのような方法で表現されるかという点に注目して論じてみたいと思う。患者が訴えという言語表現で痛みを相手に示すとすれば,その痛み体験の中に患者の攻撃性がひそむ時,その攻撃性は非言語的(non-verbal)な方法で表現されると考えられる。確かに長年にわたって心因痛を訴えて医師を転々とした患者は,医師不信という形の潜在する攻撃性を,さまざまな非言語的表現でわれわれの前に示すことが多い。今回はそうした攻撃性を独特な注目すべき方法で医師に向けてきた症例を中心に,痛みと言語と攻撃性の関連について述べてみたいと思う。
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