古典紹介
—Ludwig Klages—Traumbewußtsein —II. Das Wachbewußtsein im Traume—その1
千谷 七郎
1
Shichiro Chidani
1
1東京女子医科大学神経精神科学教室
1Dept. of Neuropsychiat., Tokyo Women's Medical College
pp.997-1012
発行日 1974年11月15日
Published Date 1974/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202248
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
A.知覚能作と感覚細目
「自我」の現れ方は一義的に決められないから,私どもとしては,どんな種類のものにせよ,意識の出現があれば,それは体験されたものの根差す領域が関与している(präsent)証拠であることをあらかじめ確実に知っていなければならない。ところで,自分を自我と感じるのは人類的のものであって個人的のものでないこと,どんな交りもこの共通な自我性の上に築かれたものであって,そこにこの交りの舞台を,たとえば動物との交りとは特色的に異なるものとする決定因子があることをとくに考えて見るなら,吾々は自我の中に精神的諸能作の超個人的担い手を見るだろうし,他人に,もし自我の性質の通じるときには,諸能作を惹起するように働く意識内の自我活動は何かという問いを連れ出すであろう。私どもは夢現象の第一章で,夢現象は因果の法則外にあるので,そこには対象性がないことを述べた。今度は夢見る状態では精神的能作の所産がないことを証明することで同じ目標に向かっている。しかし万一,そう言うことは,夢におけるほかならぬ覚醒状態を追跡しようと思っている本章の課題に矛盾するように見えるとしたら,以下のことを想起していただきたいと思う。すなわち,この課題を果たすためには何をおいても,夢見が専ら覚醒に従属するとする伝統的所信が建てた一切の方程式を批判的に吟味する必要があること,そして私どもは,前以て両者の相違を両者に共通する地盤にまで追跡してみて初めて,両者に一致するものを安んじて取り出しうるだろう,ということをである。したがって,この研究のためには,能作の本質に対して,今日までの示唆で与えられた以上の精密な洞察が必要となる。
Copyright © 1974, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.