古典紹介
—Ludwig Klages—Traumbewußtsein—II. Das Wachbewußtsein im Traume—その2
千谷 七郎
1
Shichiro Chidani
1
1東京女子医科大学神経科学教室
1Dept. of Neuropsychiat., Tokyo Women's Medical College
pp.1083-1097
発行日 1974年12月15日
Published Date 1974/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202256
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(感覚と運動との極性聯関を,基本感覚としての触覚について解明する)**
ここで私どもは,そもそもどんな工合に吾々の体験過程は自分自身を越えて出て行きながら,それにもかかわらず「超越している」ことに変りのないような現実に手を突っこむのか,ということの説明に着手することはできないので,ただこの謎解きは極性の概念を藉りて見出されたと思われることだけを示唆しておきたい。この極性概念は,ロマン期哲学が思索の大胆な投影で企画したものであるが,また残念なことに乱用に走ったために厳密な思考の側からの軽視を受けもしたものであった。そこで,ここでは論議する余裕がないが,感覚発生の或る理論からこの概念を取り上げて,感覚するものとされるものとの二つの共属する部分を,ともかくも一つの(無論意識されない)過程の双極と名づけるのは,単に手頃な言い回しの意味に取って頂きたい。それにしても,この理論の一点には触れておかねばならない。それは,後で述べる感覚過程の特徴は,伝統的理論と最も相容れない別種の想定を必要とするからである。——私どもは感覚過程を接触の生命状態と名づけ,そしてそのことによって,接触を惹起することを仕事とする感覚機能に或る基本感覚の役割が与えられることが少なくとも示唆された。私どもは実際に触覚が全感覚機能に関与していると信じるから,このことの解説には亙らない。ただほかならぬこの触覚について,私どもにとって肝要な命題を証明するだけにとどめたい。
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