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心理学上の紛糾した問題の多くは言葉がもたらしたものである。なかでも気にかかる問題は,尋常な観察では掴まえることができない要素的現象を指し示すのにいつも日常の用語をそれに宛ててしまうという一般の慣習にどうやら基因しているもののように思われる。ある複雑な事象の解釈を求めようとしてその事象を一つの単純な事象に関連づけようとするとき,ともするとわれわれは分析して得た単純な現象を日常語でもって「感情とか情動とか思考とか想像とか」と名づけてしまいがちである。しかしながら,要素的心理現象なるものはたとえば感情であるとか情動であるとか思考であるとか意志であるなどとは決して確言できない。これらの言葉はそれぞれきわめて複雑な現象を指しているのであって,それらは通俗な観察によって,また実際の必要から,そう弁別され区分され命名されているのである。尋常な観察では掴まえられず科学的分析によってはじめて得られるような最も要素的な現象も,やはりこうした古めかしい類別のなかに編入されていくものである,などと一体なぜ仮定してかかる必要があるのであろうか。強迫症者において障碍されている要素的現象とは,一体情動であるのかそれとも意志なのか,というような,おそらくはそのどちらでもないはずのことがらについて,つまり無駄な問題をめぐってなぜわれわれは争うのであろうか。意志行為なるものは情動と同様複雑な現象であり,ある要素的現象がそのどちらかと同一であるなどということは,おそらくはあり得ぬことである。
つまり研究者の好みに応じて,さしたる根拠もなしにそれが「情動」と呼ばれたり「意志」と呼ばれたりするわけである。心理学の役目はそうした言葉の争いを続けていくことではなく,分析によっていろいろな新たな現象を,すなわちこうした単純素朴な有様ではそれを認めることもおぼつかず命名もされてなかったような新たな現象を明確にさせるように努めることである。
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