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Kahlbaumは別掲の略年表の示すように,また内村祐之名誉教授の「精神医学の基本問題」の中のKahlbaumについての詳しい業績の紹介にもあるように,精神医学の臨床の場からすべてを出発させた人である。当時の組織病理学的,病理解剖学の支配的時代に―もっとも彼もHeckerに病院をまかせて短期間PragとWienで病理学を学んだとあるが―,臨床観察から疾患の経過を重視し,疾患そのものから状態像を区別し,身体疾患に伴う精神障害を区分するなどの,今日の状態像や症状群を重視し,状態像と疾患を区別する方向をすでに示していたことは,彼の業績が最も評価される点である。ただHeckerもいっているように,彼のことを「新しい命名のSuchtの傾向がある」と批判する人があるそうであるが(しかもその命名に適合した症例の報告が必ずしも十分でないという批判も),たしかにVesania,Vecordia,Dysphreniaをはじめとする新しい用語はその後あまり用いられないがKatatonie,Hebephrenie,Heboidophrenie,Flexibilitas cerea,Verbigeration……などは今日でも用いられている。関連の文献を読んでも,Paralyse(身体的基盤のはっきりした)に対し,筋緊張を(麻痺に対し)重視してKatatonie,Spannungsirreseinを提唱したり,NeumannのEinheitspsychoseにほぼ相当したものとしてVesania typica(簡単にいうと,メランコリー,マニー,錯乱と経過し,治癒せぬと痴呆に至る病型),この全体的人格障害に対し,部分的なものとしてDysthymia(感情面が主としてやられる),Paranoia(知能面が主),Diastrephia(意志面が主)らを一緒にしてVecordiaと呼び,身体疾患にみられる精神障害をDysphreniaと呼んでいるのはある程度理解できるが,彼自身の疾患分類がchronologicalにどのような内容的な変化を追っていたものか,いまだはっきりしない点がある。彼は大学の教職を希望したが,最後までそれが果たされず,そのために小人数での精神病院での業績であったために,裏づけや発展や,周知させることに不十分であったといわれているが,反面,患者と病院勤務医師との密接な接触があったからこそ素晴らしい業績が出たといえよう。
直接の師を持たなかったこと,Heckerという弟子(と同時に彼の親類を最初の妻として迎えている)を得たこと,HebephrenieもKahlbaumの発想と指示でHeckerが仕事をまとめたこと,自然科学一般にも興味を持っていたことなども経歴の中に現われている。
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