巻頭言
二重の見当識
笠原 嘉
1
1名古屋大学医学部精神医学教室
pp.334-335
発行日 1974年4月15日
Published Date 1974/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202160
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ほかの臨床科の人たちとつきあっていると,自分の考え方の異質な面をあらためて思い知らされる場合がよくある。それにはもちろんいろいろな理由があって,たとえば内科学や小児科学などの近年の進歩についてこちらが無知なためということもある。しかし,これはそうした純粋に知識レベルの差異によるだけでなくて,むしろ,精神科医以外の臨床医は明快で迷いのない方法論や疾患モデルや治療理論を共有しているようにみえるのに,私のほうはいつも多少とも曖昧さを伴う,いわば二重の見当識とでもいった中にいると感じる差異のほうが,より根本的なように思える。他科の人たちは,たとえば精神障害にしてもおしなべて体因的に解釈するか,あるいは逆に極端な心因論的解釈を下すかしがちであるが,いずれにしても彼らはいつも一重の見当識の中で生きているようにみえ,その当否は別として,自分の持っている二重性の厄介さからみると,一寸うらやましい。
この二重性は,いうまでもなくまず,精神科医として心身両面への注目を余儀なくされるところから始まったのだろう。身体医学の方法論に加えて精神医学に独特の方法論を体得するために,われわれは医学部修了後いささかの年月を費やさねばならなかった。最初の数年,他科へ進んだ友人たちが着々と進歩していくのに比しこちらは手も足も出ないという思いであったことを憶い出す。治療論の面でも,原状回復ないしは欠陥治癒を目標とする医学一般の原理に加えて,もう一つ成熟という別系列の治療原理のあることも学ばねばならなかった。神経症ないしその関連病態を扱った者には自明のこの原理も,身体医学者にはなかなかわかってもらえない一つである。
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