巻頭言
「みる」ということ
岡本 重一
1
1関西医科大学精神医学教室
pp.230-231
発行日 1974年3月15日
Published Date 1974/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202150
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ひところPraecoxgefühlということが問題にされていた。いわゆる精神分裂病の概念があまりにも広範囲にわたり,なんらかの精神症状があって外因が見当らなければすべて精神分裂病としてしまい,下手をすると,外因によるものまで精神分裂病の刻印をおして治療を誤まるようなすうせいに対し,Kraepelinの早発性痴呆症あるいは精神分裂病の中核群を識別しようという意図から取り上げられたようである。Kraepelinによる早発性痴呆症の概念にしても,極端にいえば,良性腫瘍に対する悪性腫瘍というような考え方であるが,単にある種の症状が認められて原因不明であるというだけで精神分裂病として済ませるよりは,まだましである。
ところで,このPraecoxgefühlというのは,美術骨董屋が真物と偽物を鑑定する時に問題にしている「あじ」というか印象にも似ており,それ以上「ことば」として捉えることも,いわゆる科学的な裏付けもできずじまいに終わったようであるが,ただ一方では,これを感じとる,つまり医師の「みる」能力も問題になった。ある期間適当な指導者の下で習熟しないとその能力が身につかないとか,センスのない人は何年かかっても困難であるとか。ことに,昨今の薬物療法による安易な症状改善が,Praecoxgefühlに限らず精神科医の「みる」目を害しているようである。
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