特集 伝染病予防
巻頭言
伝染病問題の追憶
野辺地 慶三
pp.365
発行日 1965年7月15日
Published Date 1965/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203065
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橋本伯寿を憶う痘瘡,麻疹,梅毒,麻癬薬は胎毒によるという唐宋の迷説が風靡していた徳川時代に,碩学橋本伯寿は彼の疫学的観察に基いて,「断毒論」(1810)を著わして,胎毒説を笑殺し,隔離による予防法を提唱し,なお多くの正鴻を得た疫学的知見を述べているが,これはわが国の医学史上特筆すべき事績である。惜しむらくは彼と並び称へらるべき北伊のFracastroの場合と同様,彼の卓見を継承発展せしめる後継者がなかったので,わが医界は再び暗夜となったことはわが国の文化史上の遺憾事であった。
わが国最初の法定伝染病4種前号本欄の松香私志抄(3)に記されてある如く,明治7年(1874)文部省は医制76条を公布したが,その第46条に第扶私,虎列刺,痘瘡及び麻疹の4病を悪性流行病と指定し,その届出と予防法を指示したのであった。茲に「第扶私」というのは発疹チフスのことで,腸チフス(泰ホイ土)は軽病として問題にしなかったのである。またこの場合麻疹を発疹チフス,コレラ及び痘瘡と並べて4悪性流行病に指定したのは,今日の感覚からは異様の感を覚えるのであるが,これは次ぎのような理由によるものである。
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