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研究と報告
家族を被害者とする被害妄想について—分裂病者における共同体感情の障害についての考察(Ⅱ)
Über den Beeinträchtigungswahn, in dem die Familie als Beeinträchtigte gestellt wird.: Ein Beitrag zur Veränderung des Gemeinschaftsgefuhls in der Schizophrenie (Ⅱ)
小久保 享郎
1
Tsugio Kokubo
1
1東京医科歯科大学神経精神医学教室
1Aus der Neuropsychiatrischen Klinik der Tokyo Ika-Shika Universität
pp.613-617
発行日 1968年8月15日
Published Date 1968/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201368
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Ⅰ.序言
精神分裂病を,病者の世界内存在における存在様式の変容という観点から考察するこころみは,今世紀の初頭からしだいに活発になつてきて最近にいたつては一種の流行ともいえる隆盛を示しているが,これが単なる一時的の流行にとどまるものでなく,従来の要素的心理学にもとづいた個々の症状の集積をになうものとしての病者の把握の不完全さから抜け出して,病者を統一的全体としてその本質的な存在構造に光をあてるこころみとして分裂病研究に新たな局面をきり開きつつあることはW. v. Baeyerの言をまつまでもなく正当な評価といえるのでなかろうか。このいわゆる人間学的な接近において問題の中心を占めるのは病者の共人間的なかかわりかたという側面であろう。
われわれはさきに,嫉妬というきわめて人間くさい主題を中心として,その病的現われである嫉妬妄想をとおして共同体内での病者の存在様式の変容を論じた1)。すなわち,嫉妬妄想への過程は病者の「われ・なんじ」という両者的存在へのこころみの挫折であり,これを包括的に共同体感情としてみたときそれは負の方向への,いわば解体ともいうべき過程をたどることを示した。ところで,分裂病者において共人間的存在の核としての両者的存在はつねになんらかの変容を示すとしてもそれはかならずしも負の方向へと共同体感情の解休の過程をたどるとはかぎらない。
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