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特集 精神療法における治癒機転
第63回日本精神神経学会総会シンポジウム
精神療法一般の治癒機転についての一考察
Onto-analystic Investigation on Psychotherapy
笠原 嘉
1
Yomishi Kasahara
1
1京都大学医学部精神科
1Dept. of Neuropsych., School of Medicine, Kyoto Univ.
pp.273-277
発行日 1967年4月15日
Published Date 1967/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201182
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Ⅰ.治癒のプロセスにおける不連続性
いわゆる小精神療法(説得,暗示,浄化,催眠など)から,精神分析はもとより,森田療法など特有の体系をもつ精神療法まで,一応精神療法という名でわれわれが考えているすべてを一括して念頭においたうえで,それらに共通してみられる,いわば基本的ともいうべき治癒機転をあえて取り出そうとするのが,この小論の目的である。もしこの試みが成功するなら,そのような「基本的」な機転とは,個々の,たとえばとりいれ,同一視,洞察などすでにいわれている多くの治癒機転のいずれをもその背後において支えうるものでなければならぬはずである。
まず,治療中にくりかえし感じる私個人のつぎのような印象を述べることから始めたい。それは,治療者である私にとつて「治癒」ないしは「好転」の機転は,「悪化」ないしは「再発」の機転に比べて,はるかに理解しにくいように思えてならない,ということである。患者は事実たいへんよくなってしまつているのに,治療者たる私にはかれがなぜかくもよくなったかについて少なくとも十分には納得がいかない。そういう場面にしばしば出くわすのである。これに反し「再発」時のメカニズムの方は,少し長く治療している例では,あらかじめ予測することもそれほど困難ではない。もちろん好転のさいの機転が了解しにくいということのいくぶんかは私の不明に帰せられるべきことなのであろう。しかし一般に,治療終了後の患者の回想を聞いていると,「悪化」のプロセスの語られかたに比べて「好転」のそれの語られかたのほうは,描写力に乏しいという意味で生彩さに欠ける。
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