回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・2
Oswald BumkeとAlfred Hoche
内村 祐之
1,2
1東京大学
2日本学士院
pp.694-701
発行日 1966年8月15日
Published Date 1966/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201057
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
E. Kraepelinの印象を書いた後に,何を書こうかと考えるとき,第一に頭に浮かぶのは,私が一生を通じて最も御恩を受けたと思つているW. Spielmeyer先生のことである。しかし先生については,後に書く機会があるであろう。それよりもKraepelinとは対照的といえる人々について語るほうが,当時の精神医学界の動向を紹介するのにふさわしいと思う。そこで,ここには,Kraepelin退職後,その後継者としてミュンヘン大学の精神科教室を主宰し,その後20年以上にわたり,ドイツ精神医学界の指導的立場にあったOswald Bumkeと,その師であり,またKraepelinの最強の論敵であつたAlfred Hocheの2人を取り上げることとした。これは,第一に,公正を期する道であり,第二に,学問の正しい進歩のために必要な,二つの対蹠(たいしょ)的タイプを考えるうえに参考になることである。
1922年に,Kraepelinがミュンヘン大学を退職し,その後,1924年になつて,Oswald Bumkeがその後任に決まつたと聞いたとき,われわれは実に意外な感に打たれた。ここで,われわれと言つたのは,この事について,林道倫教授と私とが,同じ思いを語り合つたことがあるからである。日本ではほとんど名も知られていなかつたBumke,有力な業績を出したとも聞かぬBumkeが,最も伝統のあるミュンヘン大学の精神科の,しかも大Kraepelinの後継者として突如現われたのである。
Copyright © 1966, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.