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I.問題の提出
神経症の日本的特性を論ずるさい,注意すべきことが二つあると思う。第1は,ある事柄が神経症の日本的特性であるというためには,いかなる国にも共通する神経症の一般的性質をみきわめたうえで,その背景のもとに差異を論じねばならないということである。類似したものを比較してみて初めてそこに差異が,はつきりとするからである。第2は,神経症の日本的特性という以上,日本の社会的文化的特性をとりあげるだけでは不十分であるということである。それらの社会的文化的特性がどのように神経症の中に反映しているかを明らかにせねばならない。このことと関連して注意すべきことは,神経症の日本的特性を,神経症を観察し研究する精神医学の日本的特性と同一視してはならないという点である。精神医学は,もしそれがその名に値する学問であるならば,万国に共通するところがなければならないが,しかし実際問題としては,国によつてかなり異なつていることは周知の事実である。精神医学がたとえ異なつても,その対象となる神経症は本質的には同じであると考えるのが,当然ではなかろうか。ただし本質的には同じ神経症でも,国や文化の違いによつて若干の差異がみられるかもしれない。その点を論ずることが今回の精神病理懇話会の主題であると考えるのである。
さて私はこれまで一連の論文の中で,甘えという日本語に特異な概念を用いて,神経症の精神力学を明らかにすることにつとめてきた1)。甘えというのはたしかに日本語に独特な概念であるが,しかしこれを用いて明らかにされる神経症の精神力学はとくに日本の神経症にだけ妥当するものではなく,一般性をもつことを主張することが私の狙いだつたのである。しかしこの点は必ずしも十分には理解されなかつたようである。それは"甘える"という言葉が日本語に特異であることを強調し,またそのような事実を可能ならしめた社会的文化的背景についても示唆したために,甘えを用いての神経症の精神力学までが日本に特異であるかのごとき印象を一部にあたえてしまつたからである。そこでこの討論では,いま一度甘えの精神力学の普遍性を明らかにし,しかしそれと同時に,この普遍性に付随する日本的特性にまで言及したいと思つている。
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