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観光コースとしてすっかり馴染み深くなったロマンチック街道の旅を一緒に過ごし日本へ帰国する家内を含めた一行をパリのシャルル・ドゴール空港で見送ったあと,再びドイツへひとり戻ったのは1999年8月の暑い最中であった。眼下に拡がる黄昏のヨーロッパの大地を眺めながら,気持ちが休暇から仕事へと切り換わっていくのを覚えた。第11回世界精神医学会ハンブルグ大会に参加してその様子を具に見ることが第1の目的であったが,3年後に横浜で行われる予定の第12回大会の会議運営委員長を仰せつかってまもなくであったから,これまで,ひとりの会員,つまりお客様として参加していた国際会議の運営などには,印象の良し悪し程度の関心しか払ってこなかったのに対し,この度はお客を迎える立場として働かねばならないという役割意識のようなものがあったことは否めない。
大会前日の8月5日の午後受付を済ませてから,メイン会場となるハンブルグ国際会議場(Congress Centrum Hamburg)に立ち寄ったが,展示会場などは,まだ器材が床に散乱し,工事に手がついたばかりの状態で,一瞬“間に合うのかしらん”と他人ごとながら心配になった。しかし,翌日の夕刻の開会式直前には,実にきれいにset-upされ,迎え入れの準備が完全に整っているのを目の当たりにして,それが杞憂であったことがわかった。開会式はメインホールで満員の各国会員の参加のもと盛大にとり行われた。なかでもホスト国であるドイツ精神医学会を代表したGaebel組織委員長の挨拶では,クレぺリンやヤスパースなど,ドイツ精神医学史に燦然と輝く多くの人々の名がその歴史とともに続々と登場し会場を圧倒した。ナチス時代にあったこの学会の不幸な一時期についても触れることを忘れず,被い隠すことなく懺悔と憂慮を込めて述懐する氏の演説は,聞く者の胸を打つものがあったが,このとき同時に筆者の胸に少なからぬ不安がわいた。9千余名の会員を擁しながら,年次学術集会に参加する者が毎年千名を越えるか越えないかといった状態にある日本精神神経学会が,host societyとして次回の大会でこのドイツのように一丸となって堂々と機能することができるだろうか。年次集会の数倍もする会費を払ってはたして会員は参加をしてくれるのだろうかなどなど……。
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