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はじめに─問題の所在
精神科医療は,精神障害の治療を第一義とする営みではあるものの,治療の目指すものやその道筋は決して自明ではない。それらは患者の考えと一致しないことすら稀ではない。それは,社会一般の倫理観(以下,これを社会倫理と略注1))が入り込まざるを得ない領域でもある。ここに精神科医療と社会倫理との関連を論じる必要が生じる。もちろん,この両者は,出発点を異にするものである。しかし,精神科医療は,患者の対人関係,そして社会とのかかわりを重要な領域としており,人間の福利を向上させるという目的で社会倫理と重なりが大きいために,両者のかかわりには浅からざるものがあると考えなければならない。
医療と倫理に関連する議論には,①ヒポクラテスの誓いや日本医師会の倫理要綱の一部にみられるような医療従事者がその職業倫理的姿勢を自分たちで内発的に規定したもの8,9)と,②医療技術の著しい発展やその影響力の増大に伴って生じる問題を社会倫理の立場から検討するために発展してきた領域である医療倫理学として位置づけられるものとに大別できる。精神科医療の倫理についての議論は従来,①の側面が主と受け止められていたと思われるが,昨今では②に属するものが急増している8)。②は多くが医療の外部からの議論であり,そこには医療者の行動規範を社会一般の視点から作成するという側面がある。同様の状況は,精神科医療においても生じている。この状況を理解するためには,その歴史的背景に着目する必要がある。精神科医療活動の倫理規範を扱ったハワイ宣言(1977)には,旧ソ連の精神医学の政治的乱用が,そしてわが国のいわゆる精神保健法の改正(1987)には,1984年に栃木県U病院において入院患者への虐待による致死事件が発生したことが,それぞれ契機となっていたことはよく知られている。このような動きが積み重なって,現在の精神科医療には,患者の権利擁護などを目的とする様々な社会倫理的な規定が組み込まれてきている。この中で,精神科医療の倫理についての議論は,近年特にその必要性が高まっているといえる。
本稿のテーマは,精神科医療の治療的介入に含まれるべき社会倫理的側面と精神科医療に内在する論理とのかかわりについての検討である。ここでは,主に患者の示す問題行動への治療的介入の社会倫理的側面および精神科医療への社会倫理的要請と,医学としての側面を代表する精神医学の論理とを併置しながら議論することによって,精神科医療の倫理について考察が加えられる注2)。これらを視座において議論を進めることによって,我々は1つの社会的活動としての精神科医療についての理解を豊かにすることを期待することができる。
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