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はじめに
安静状態から運動に移れば,呼吸は促迫し,心拍数は増加し,体温は上昇する。これらの変化はわれわれが日常経験するところであり,生体は運動による筋の代謝の増大をこれによって補い,以て内部環境の恒常性を維持しようとしていると解される。これは誠に合目的的な思考の仕方であって,その根底にはClaude Bernardの内部環境恒常の概念が強く横たわり,内部環境はいつ,いかなるときにでも一定でなくてはならず,生体のあらゆる機能はすべてこの目的に向かって集約されているという考えから出発している。そして内部環境の偏倚はその生体の異常を意味すると考えている。果して常にそうであろうか。仮に一歩を譲って"一定"ということを"ある範囲"ととったとしても,運動時の内部環境の偏倚ははるかにこれを越えていることが多い。とすれば運動とは初めから異常の状態といわねばならない。
例を体温にとってみよう。体温はあらゆる巧微なる調節機構によって常に一定に保たれていることはよく知られていることであるが,それでもなお,日に1℃の変動がある。日間変動(diurnal rhythm)といわれるこの変動は必ずしも睡眠そのものとは関係がなく,睡眠をとらなくても自然に変動するものである。これは生体機能の欠陥というべきであろうか。また睡眠中は体温は降下し,覚醒すると上昇する。後述のごとく睡眠中と覚醒中では⊿PaCO2に対するVEは等しいが,同一PaCO2に対するVEは覚醒中の方が大きい。いいかえると,睡眠中はPaCO2は増加している。とすると,睡眠中は体温調節機能も呼吸調節機能も共に低下し,それは異常であると考えるべきであろうか。運動時は睡眠時とちょうど反対になる。すなわち,運動時にはPaCO2は下降し,体温は上昇するのである。安静時を零の状態とし,睡眠時を右寄り,または負の方向への偏倚と考えれば,運動時は左寄り,または正の方向への偏倚と考えることができる。しかし睡眠も運動も共に生理的現象であるとすることに異論のある人はないであろう。特に運動は安静の連続であって,どこからを運動,どこからを安静という一線を画すことができないとすれば,安静時に適用される調節理論はそのままその極端な場合として適用しようとすることは当然である。そうしてその理論によって説明されえないときに,その運動はその人にとって異常であると考えようとする傾向が生ずることになる。一方睡眠の方はこれに反して明らかに覚醒安静時と異なる状態にあると考えがちであり,そのような根底に立って種々のことを考えているようである。運動の場合を安静からの正の連続と考えるならば,睡眠もまたその負の方向への連続と考えるか,または両者とも安静とは異質ではあるが,しかし正常な生体の一つの状態と考える方がよいのではなかろうか。安静覚醒とはどの範囲を指すかが問題として残るのであろうか。
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