カンファレンス
Dr. M. B. Visscherを囲む討論会
堀 原一
1
,
杉浦 光雄
1
,
三浦 健
1
,
小島 靖
1
,
笹本 浩
,
加藤 暎一
2
,
平田 清文
2
,
山崎 昭吉
2
,
小沢 幸雄
2
,
沢藤 滝治
2
,
島本 多喜雄
3
,
山川 邦夫
4
,
沖野 遙
5
,
藤咲 喜一
5
,
坂口 大吾
5
,
中村 芳郎
5
,
笹本 浩
5
,
榊原 仟
6
,
田崎 義昭
7
,
後藤 文男
7
,
相沢 豊三
7
1東京大学医学部木本外科
2慶応大学内科
3東京医科歯科大学医学部内科学教室
4順天堂大学医学部
5慶大医学部内科教室
6東京女子医科大学外科学教室
7慶大医学部内科教室
pp.743-749
発行日 1960年10月15日
Published Date 1960/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1404200930
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加藤(慶大教授) Visscher教授を迎えて東京における最後のconferenceを行います。Dr. VisscherはTravelling Lecture Conference Missionとして来朝されました。
初めての方に一寸御説明致しますと,このTravelling Lecture Coference MissionはInternational Union of Physiological Sciencesつまり国際生理科学連合が派遣したものです。その目的はオリンピックの翌年,即ち,1965年に日本で開かれる予定の国際生理科学連合会議の前ブレとして国際生理科学連合が3人の碩学を日本に送り,日本の学問のレベルを見,日本の各大学の教授に会い,各大学を視察して特にそのために若い世代の方々とconferenceを行い,若い世代の人々がどういう研究をし,どういう考えを持つているかを知ることが第一の目的であります。ですから来朝された3教授が講演して歩くのが本当の目的でなく,若い人々の研究を知り,そして,意見を聞くことなのです。特にこの特徴として5年先に日本で開かれる大会の際に若い人々が臆することなく元気に勇気をもつて,言葉の不自由なところも克服して充分にdiscussionを行い,充分に意見を述べるというふうに刺激する任務を持つています。
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