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盛夏に亀山社中(長崎市),坂本龍馬と中岡慎太郎の墓(京都市)を訪れた.龍馬の生誕日と忌日である11月15日には,「龍馬会」と称して龍馬に纏わる秘蔵品を持ち寄り若手医師と大いに語り飲んだ.亀山社中は坂本龍馬が興した日本最初の貿易商社であり,幕末から明治への大転換に貢献した.約250年続いた江戸幕府は1853年のペリー来航からわずか15年後,大政奉還により長期政権に終止符を打った.自民党から民主党への政権交代を大政奉還に重ねる識者は多く,やはり歴史は回帰するようである.その言説には,士農工商による厳格な階級社会と幕末の格差社会に対する庶民の鬱積と反旗がある.しかし倒幕思想に西洋医学教育が影響した史実をみると,いま翻弄する医療行政(医政は造語)への鬱積が政権交代の原動力のひとつになったことも肯ける.つまり国民は大都市の中心にあっても,先進国でありながら適切な医療を受けられない惨状がある.今日,われわれ医療人は「医学は国を動かす」ことを史実として再認識し,「医学は国を再興する」未来を展望する絶好の機会を得た.
日本における西洋医学は1858年,将軍徳川家定の大病を機に幕府によって公認され,1884年(明治十七年)明治政府は医師免許制度を施行し,漢方医学から西洋医学への移行を完了した.明治初期まで一般医は漢方医家に丁稚奉公し独立,当時は漢方医8割と洋方医2割であった.1857年に長崎で始まった西洋医学講義では,「とくに江戸から留学している学生達に,医師にとってはなんら階級の差別などないこと,貧富上下の差別はなく,ただ病人があるだけだということを納得させようとしたが,彼らは同意することはできなかった」と西洋医学教育の父であり長崎大学医学部開学の祖,オランダ海軍軍医Pompe van Meerdervoot(ポンペ)は記している.当時,幕府の医政は厳格な身分制度の下で国民と医師を階層化し,医療の機会均等を禁止していた.そこでポンペは幕府への直談判によって庶民への診療を承諾させ,西洋式病院養生所の建設によって実践的な医療平等主義の普及,そして階級制度崩壊への道を開くことによって倒幕が成し遂げられた.これからも医療人は民意を反映しない誤った医政は正さなければならない.
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