医道そぞろ歩き—医学史の視点から・20
田原淳の心臓刺激伝導系
二宮 陸雄
1
1二宮内科
pp.2410-2411
発行日 1996年12月10日
Published Date 1996/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402905834
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ライプチッヒ大学でヒス束が発見されたのは1893年である.ヒスの父は,バーゼル大学で胎生学のすぐれた研究をした組織学者であった.息子のヒスは父から胎生組織学を手ほどきされ,胎児の心臓が神経や神経節ができる前に拍動できるか調べたいと思った.そこで,父からヒトの胎児心臓の連続切片をもらって研究を始めた.やがてヒスはマウス,イヌ,ヒトでヒス束を発見し,神経性伝導を想定した.それから半世紀後,チェコ人のプルキニエ(原語ではプルケイニエ)がブレスロウ大学で心筋に分布する微細な神経線維を発見した.これらの構造が,実は心房結節(田原結節)からヒス束を経てプルキニエ線維につながる一連のものであることを発見し,これを心臓の収縮調節に関係する特殊な「刺激伝導系」と命名したのは,田原淳である.
田原は大分県の西安岐町の生まれである.東京大学を卒業後,2年目の明治36年(1903)にマールブルク大学病理のアショッフのもとに留学し,「肥大した心筋はなぜ麻痺しやすいのか」というテーマを得て,眠る問も惜しんでいろいろな動物の心臓の連続切片を調べた.イヌ,ネコ,ウサギ,モルモット,ヒツジ,ウシ,ハトなどの心臓を調べ,「プルキニエ線維があり,ヒス束の終末分布部を形成している」ことを知った.そして,この線維束の始まりが結節(糸の結び目)を成していることから,この一連の構造が心臓各部の協調運動を管理する「刺激伝導系」であると考えた.
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